2023/03/31
こんにちわ、暑いのに熱い蕎麦が好きなさとろん(@satoron01)です。
※ちなみ蕎麦=buckwheat noodlesと言います。ずっとJAPANESE SOBA!と言っていたのが恥ずかしいです。
先日ふとエスニックジョークを思い出しました。エスニックジョークとは民族性、や国民性を端的にあらわすような話によって笑いを誘うジョークで、ブラックジョークの一種になることが多いみたいですね。
有名なエスニックジョークはコチラ
様々な民族の人が乗った豪華客船が沈没しそうになる。それぞれの乗客を海に飛び込ませるには、どのように声をかければいいか?
アメリカ人「今飛び込めばあなたは英雄ですよ」
ロシア人「海に落ちたウォッカの瓶はあなたのものです」
イタリア人「美女たちも泳いでいますよ」
フランス人「決して海には飛び込まないでください」
ドイツ人「規則ですから飛び込んでください」
イングランド人「イングランドが優勝しました」
スコットランド人「スコットランドがイングランドに勝利しました」
中国人「金塊が沈んでいるそうですよ」
日本人「みなさん飛び込んでいますよ」
韓国人「日本人はもう飛び込んでいますよ」
- 引用:wikipedia
みなさん飛び込んでますよ。日本人の群集心理を突いたジョークですよね。ちなみにこんなのも、、、
強気な姿勢が自信を作る!? RT @GLOBISJP 『(日本人は)個人戦に弱い。特に男は本当に気が弱い。国際会議を成功させる秘訣は、いかにインド人を黙らせるかと、いかに日本人に喋らせるかの2つと言われている。 https://bit.ly/iauFFM
— ıʞǝ∩ oʇɐsɐW (@uekima) 2011年4月20日
国際会議の議長の腕の見せ所ですね、よく喋るインド人、喋らない、意見を言わない日本人、というのが国際的にも皮肉にジョークにされています。
ですが、どこの国にいっても日本人というのは他国から比べると意見がない、主張が無いだとかいわれてます。
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国民性と世代
今現在、ゆとりだとかさとりだとか言われ、さらにそういった主張がなくなりつつあるのか、はわかりませんが国民性はそんなスグに変わるものでもありません。
ちなみに僕自身どうやらミニマムライフ世代に当たる様子。
【日本の世代名まとめ】ゆとり世代、バブル世代、しらけ世代、ポスト団塊の世代… https://t.co/VLZLtLtRAw
— satoron (@satoron01) 2017年6月4日
なるほどと思ってしまいます。
ただ、どの世代にも当てはまる国民性は協調性だったり、右にならえ精神が宿ってるのかな、なんて思います。
他人と同じ、周りと一緒だと安心する。
だとか先ほどの意見が無いというのもこの原因は、日本の教育課程の中にあると思います。
学級会や、授業で意見を出し合う場面で、違う意見を持った時に厄介者やのけ者扱いされてしまうことが多いです。
学校でよく意見が別れた時は多数決されたりするのもそうですよね。
すこし誇張しますが、物事の本質がどうであれ、意見が多いほうに合わせないといけないという現状。
こうなると厄介者にもされたくないですし、他人の意見を合わせるようになってしまいます。
そうなると自分の意見というよりも他人はどう考えるか、どうすれば孤立しないか、なんて風に考えるようになり、ゆくゆくは協調性がない=他人に迷惑がかかる、という社会風潮に気が付きます。
効率的にするには、具体的に議論に対しての率直な意見がでなくなるのも頷けます。
僕自身も小さいころから両親に、他人に迷惑をかけないようにと散々教わりました。
学校生活や家庭教育の中でこのように教育されることは、日本の教育が平均化を目標にしていることがわかります。
その考えも現在では少しずつ変わってきているとは思いますが、小さい頃から没個性的になる教育を施されているのです。
世間体だったり周りの目が気になるのもわかりますが、もっと自分が自由になってもいいんじゃないかな、なんて思います。
パーセプション(物事の見方)の違い
2017年、日本もグローバル化してきている現在。海外で活躍されてる方も多いです。
僕も実際に現地で住んだり働いたりして、違いをひしひしと感じています。その時の記事はこちら
パーセプション【perception】(物事の見方)
という点では、大きく異なるモノがあるんじゃないかな、なんて思います。
比べる国にもよりますが、そもそも比べてる時点で僕自身も海外と比較しちゃって気にしてるんですよね。
公共の場だったり、他人の行動に対して、どう思うか。
欧米諸国で暮らしたことがある方は違いに気が付いたり、特に違いを感じるかもしれません。
そもそもパーセプションとは「ものの見方」などの事を言います。日本と海外(今回は欧米諸国)ではだいぶパーセプションの違う事柄がたくさんあります。日本では結構気になる事例も海外(今回は欧米諸国)では全く問題ないことが多いです。
例えばの事例
※少し個人的な主観も交えて誇張してる部分もありますが、ご了承ください。
- 街中でカップルがいちゃいちゃ
日本=家でやれだとか、人が見てないところでしてほしい。目ざわり、他人のは見たくない、最近ではラブハラなんて言葉もありますよね。
欧米諸国=愛し合ってる証拠。スキンシップはして当たり前。他人がどうしてようが周りの目は気にしない。自分もするし構わない。
- 会議(または学級会など)
日本=あまり突拍子もないことはいうのは避けてスムーズに決まればいいな、意見も言えず、または出なさ過ぎて決まらず長引くことも多々
欧米=少数派だろうが俺(私)の考えが通るに決まってる。ここで意見を出さずになんになる。みんなの意見を聞こう、そして早く効率的に終わらせよう。
大分主観もありますが、あるあるじゃないでしょうか。会議なんて一番の典型的じゃないでしょうか。
ちょっと少数派な意見を出したりするだけなら、まだいいかもしれません。
しかし頑固で意見を曲げない人なんて厄介者されて出世街道からも外れてしまいます。
協調性や統一、平均化。そういうことを重視するのが日本の文化なのかなと思います。
と、このように欧米諸国では誰が何をしていても基本的に誰も気にすることはありませんし、それを馬鹿にしたり非難したりという風潮があまりないように感じます。
自分がしたいことをして何が悪い。人は人、自分は自分。という考え方が根付いていることがわかります。
隣百姓という言葉
僕は今こうして、いろんな土地に住んでみて現在日本で暮らし、コラムを書いていますが、エスニックジョークと共に、祖母が【隣百姓】といっていた言葉を思い出しました。
隣百姓というのは、言葉の通り、隣の農家を真似して自分も同じ作業をする農家のことです。
隣の農家が畑を耕せば、自分も耕し、種をまけば、自分も種をまく。
隣の農家が肥料をあげれば自分も肥料をあげる。
こうして隣と合わせることで自分だけ失敗するということはない。
こうすることで日本は農業国として育ち、今や経済大国まで成長しているのです。
それはビジネスにしかり、学校生活にしかり、社会生活にしかりです。
協調性や平均化の教育の根本になっているのかもしれません。
だから人と同じでは失敗はしないかもしれないが、新たな事柄は生まれずらいです。
当時は何のことやらといった感じですが、今はシミジミと感じます。
日本ではルールやマナー、規則が重んじられ、破ったりレールから外れると社会的に非難され、世間からは疎外されます。
まして今は情報社会、WEB上で匿名で誰でもなんでも言える時代です。
言葉として発してからは重たさも違います。今回Iris(イーリス)さんのこんな記事を目にして思いました。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」
聞いたことはある方が多いのではないでしょうか?日本人の群集心理をついた鋭い言葉ですよね。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」いろいろ調べると1980年に流行語になっているみたいです。
ビートたけしが漫才中にいったネタだったんだとか。
これも一人で悪いことをすれば、当然罰を受けるのは自分一人。みんなで赤信号を渡る、ということは、みんなで一緒に悪いことをすれば、当然みんな罰が受ける。
車が来ていなくてもちゃんとルール通りに信号を守りきちっと待つ日本人の国民性と、自分以外にもみんなが一緒なら安心するという日本人の群集心理をついているブラックジョークですよね。
社会的非難や評価を自分一人で背負う責任から逃れることができるから、という背景と、自分ひとりでは何も言えなくても集団ではビックマウスになる心理と似ていますね。
意見がなくても多数決で決まってしまうことにも通じるものがあるかと。
まとめ
エスニックジョークやブラックジョークで日本の国民性が浮き彫りになりましたが、
結論、欧米諸国は自分と他人を比べたりすることも大事ですが、比べるよりも自分の幸せが優先されてる気がします。
他人の目ばかり気にして、ルールや規律を守ることが幸せならそれでいいと思います。
年収や仕事、見た目や行動が他人と比べて劣ってる、優れているからこそ次に繋げるモチベーションになることもあります。
みなさんやってますよ!という営業の殺し文句もあるくらいですが、それでは隣百姓。ビジネスに置き換えても通じるモノがあると思います。
しかしそれ以上に何事にも、自分は何を望み、何がしたくて、どうなりたいのか、ということが自分自身幸せで生きていく上で更に充実した生活に繋がっていくのではないかな、なんて思います。
そのためには、他人と比べる優先度をすこし下げる余裕も必要なのかなと思います。今現状ではなかなか難しいですが…
生きていく、だなんて話が大きくなりすぎてしまいましたが、最近よく『みなさんやってます。』だったり『みんなそうだから』という言葉をよく聞くことがあり、本当にそれは自分がしたいことなのかな?流されてないのかな、と疑問に思い今回の記事を書き上げました。
少しづつ意識も変えれば気持ちも変わる、人は人、自分は自分。
つまるところ気にした他人はあなたを幸せにしてくれますか?といったところ。
もっと、自分に素直になり、日本の文化も自己主張のできる意見のもてる文化になればと思いました。本日も最後までお付き合いいただき有難うございます。